2006年12月04日

『切り裂き魔の森』

以前の投稿記事で取り上げた『アマンダ』の著者アンドリュー・クラヴァンが弟さんのローレンスと共作し、共同ペンネームのマーガレット・トレーシー名義で発表したデビュー作で、1984年のMWAペーパーバック賞(アメリカ探偵作家クラブ)の最優秀ペイパーバック賞を受賞した作品とのことです。

サスペンスフルさ、スリリングさ、ショッキングさ、ドラマチックさは特筆すべき程には感じられませんし、ミスリードやあっといわせるようなからくりが用意されているわけでもないやに思いますが、限られたスチュエーションに、限られた登場人物で心理・背景描写に含みを持たせたり、敢えて描き切らずに読者に想像を仕向けたりしつつも正々堂々、直球勝負の展開で押しきるやの、サイコ・サスペンスというより心理サスペンス(ニューロティックサスペンスというのでしょうか)で、面白いという形容より、上手く表現出来ないのですが、ゆるぎない巧みと妙を感じる、読み応えのある作品との印象です。

はじめの内は主人公の借家ながら静かな、人里離れた緑に囲まれた家で、大工を生業とする頼もしく、頼りがいがあり、なによりも優しい夫"ポール"、夫にそっくりな12歳の息子"ポール・ジュニア"と自分にそっくりな5歳の娘"メアリー"と平凡で満ち足りた生活を送る主婦"ジョーン・ホワイト"夫人に対して、"ホワイト"一家の隣人で借家の家主もある釣り好きの芸術家"ジョナサン・コーネル"が抱く嘲笑とまでは行きませんが、(保守的、)平凡に過ぎて、野暮ったい嫌いがあり、些か苛立を覚えるやの印象は受けなくもないですが、彼同様、次第に彼女に親しみとシンパーを感じ、どんな美点にも勝るとも劣らない人としての美徳を身につけていることに気づかされ、惹き付けられて行ってしまうのです。

『アマンダ』同様"ホワイト"夫人の娘"メアリー"の愛らしい描写が愛し気で素敵やに思います。

瀟洒な町を恐怖に陥れる裕福な女性ばかりが被害者の残忍極まりない連続猟奇殺人そのものよりも、ある事実から夫が被害者の気の毒な女性たちにいろいろなことをした凶悪な忌まわしい殺人犯ではないだろうかとの強い疑念を抱くに至ったことによる"ホワイト"夫人の恐怖、嫌悪感、憤悶に満ち、意識や思いなのかコンプレックスなのかが交差する心理描写はギリギリとした緊迫感に満ちていそうでいて、何となく調子っぱずれなようでもあって、面白くて読み応えがあり、特にその夫との情交の場面で"相手を増悪しながらも体が受け入れてしまう”ことに対する心情は筆舌に尽くし難い恥辱なのか、酷さなのか、虚しさなのか、切なさなのか、恥辱なのかやの物凄くおぞましい何かを痛烈痛切に感じる気がします。直接的残酷描写はありませんで、血なまぐささよりも空恐ろしさとおぞましさを感じさせられるやに思います。後からも恐怖がじわりと襲い来たり、明かされぬままの、そしてこれから起こり得る恐怖を想像させられもするやに思います。繰り返しのようになりますが、日常の中でただならぬ、危機・決定・致命的不審・信感を近しい誰かに抱いてしまうことで苛まれる恐怖、嫌悪、軽蔑、憤りと日常の営みを続けることのジレンマが微妙に巧く描写表現されているやに思います。


愛、献身、幸福、笑顔、不安、疑惑、苛立、困惑、恐怖、葛藤、嫌悪、増悪、絶望感、決意、しゃにむさ、そしてまともさと母である人の強さ。
posted by ウォルター at 02:04| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 読んだ本について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読もう読もうと思って、ずっと積ん読本の山に埋もれています

>微妙に巧く描写表現されているやに思います。

ええ、今「積ん読本」+「今すぐ読みたい本」の山が襲って来ておりますので、いつか読んだときにはご報告申し上げます。

そういえばしばらく前までは上質の心理サスペンスを堪能できた気がするのですが、最近ご無沙汰です。(探そうとしない私のせいですが)
Posted by ふる at 2006年12月07日 00:25
ふるさんへ

コメントありがとうございます。

報告を楽しみにしていたいと思います。

私も敢えて探しているというわけではありませんが、そんな気がします。当節では心理サスペンスというジャンルの小説は余り流行らないのでしょうか。それ程沢山読んでいるわけでもありませんので、たまたま出会わないだけなのやの知れませんが...。

"積ん読本"というのは好いですネ(笑)。
Posted by ウォルター at 2006年12月07日 17:11
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