2007年12月29日

高校のトイレ

私が通っていた...もう20年以上前になりますが...高校のトイレは広かったです。といっても、小便器や個室が沢山設置されているというわけではなく、小便器と個室の間のスペースが無意に思える程広く取ってあるという造りでした。当然というべきか、用を足す場所であるとともに、次第に溜まり場と化し、喫煙所と化し、喫煙(者)が更なる喫煙(者)を誘うことになりました。煙がもうもうと立ちこめることもあったわけですが、当時の私には喫煙について特段の考えやポリシーがあったわけでもないのですが、真面目だったのか、変わっていたのか、嫌いという意識があったわけでもなかったように思いますが、やはり悪いこという認識が強かったせいでょうか、煙草を吸おうとは思いませんでした。学友に誘われても頑に断っていました。今でも喫煙はしませんが、当時は飲酒もしようとは思っていませんでしたし、登下校時の買い食いもしませんでした。遅刻は高校二年生まで、年間100日以上していましたが...。ある日、再々の誘いを断り続ける私に、級友の一人が、体でも悪いんじゃないかと真面目に心配した面持ちで問い掛けたことがありました。私からすれば、何故にそれ程熱心に喫煙を勧めるのかすら、ピンと来ていなかったにも関わらず、遂には体の心配までされ、虚をつかれた思いがし、唖然としてしまいました。連帯感からだったのか、一蓮托生感からだったのでしょうか...。
お酒も煙草も文化でないとはいえないやに思います。マナーに気をつけることも含めれば。

年の瀬も押し迫ってきたこの日に何故にこのような記事を書いているのかしら...。
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2007年09月02日

深夜の狸

以前にもどこかに記したやも知れませんが、若い時分私は深夜1時まで営業していた今はなき近所の駅前の本屋さんでアルバイトをしていました。ある日のアルバイト帰りに家の近くにある変電所の前に差し掛かろうとしたときに薄暗い夜道を蠢く小さな物体が目に入りました。警戒して歩を緩め、目を凝らして見ると街頭に照らされて浮かび上がったのは(ウォンバットではなく)狸でした。狸なら襲われる心配もそうないだろうと歩を進めると、狸の方も私に気づいたようで駆け足で変電所の柵をすり抜けて逃げようとしました。しかし、その太目の腰が柵に挟まってしまいました。徐々に近づく私に脚をばたつかせて焦りもがく狸...更に近づく私に全身をばたつかせて半狂乱でもがく狸....あと僅かまで近づいたとき、ふと狸は脱力したと思うと、後ずされば良いことに気づいたようで、もぞもぞと体を後退させて柵から抜け出して、夜闇の中に逃げ去って行きました。私はただやり過ごそうとしていただけだったのですが...。
恐らくはその狸だと思うのですが、これには後日談があります。
或る日、F氏やお気に入りリンクで紹介していますブログ『ごみつ通信 MOVIE LOVER'S DIARY』のごみつさんら仲間を家に招いて庭でバーペキューをしたことがあり、その際に何人かが何となく微かに何かが腐ったような臭いが漂っている気がすると口にしていたのですが、恐らく当時は健在だった祖母が花壇にまいた肥料の臭いだろうと思うと説明して、やり過ごし、皆も納得してそれ以上気にする風ではありませんでバーペキューを楽しみました。しかし、やはりそれは肥料の臭いなどではなく、狸の死骸の臭いだったことが、後々祖母が狸の亡骸を花壇の中に発見したことにより判明しました。その狸は裏山の寺の軒下の居を構えていたらしく、良く隣家の庭に出没しては飼い犬の餌を鎖で繋がれた犬がギリギリ届かない位置までずらして食べるという悪さをしでかしていたとのことなのですが、或る日流石に堪忍袋の緒が切れた犬が鎖を引きちぎり、狸のお尻に噛み付き、気づいた家人が慌てて犬を引き離し、狸を逃がしたところ、それ以来姿を見せなくなっていたとのことでした。
それ以来近所で狸を見かけることはなくなりました。
哀れな狸の冥福を祈って、合掌したいと思います。
また、バーペキューに参加された皆さんには失礼いたしました。お詫び申し上げます。

お気に入りリンクで紹介していますブログ『ごみつ通信 MOVIE LOVER'S DIARY』のごみつさんは我が家の庭で行ったバーベキューにはいらしていなかったとのご指摘をご本人よりコメントにていただきました。どうも私の記憶違いだったようです。大変失礼いたしました。
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2007年08月10日

ホームドクター(ファミリードクター)

遥か昔の話しばかりで恐縮な気もしますが、通っていた語学学校の担任の女性教師の友人で日本人のお医者さん(ホームドクター/ファミリードクター)の男性と知り合いにならせてもらいました。チャイナタウンの高級目なレストランで御馳走してもらったり、キャサリン・バトルやパバロッティだったかが共演したセントラルパークの野外オペラコンサートに行ったりと何度かご一緒させて頂いた記憶があります。不義理なことにお名前は忘れてしまいましたが、当時米国もしくはニューヨークで唯一の日本人ホームドクターだったとのことで、ご一緒させて頂いた際、一度彼のポケベルに連絡が入ったことがあり、折り返し公衆電話から連絡を取った後にエイズに感染されている患者さんからのメンタル面での不安についての相談だったと教えてくれました。そしてエイズが公に認知される前後には、緊急に外科的処置を施さねばならないときなどには、感染に対する予防も充分に配慮する余裕がないこともあり、もしかしたら自分も感染していたかも知れないとさらりと申されていて、あらためて、お医者さんというのは概ねそうなのやも知れませんが、異国の地でとても大変で危険だけど意義ある仕事をされていて、熱意と意識を高く持った方なのだなと暗黙に驚きと感銘と心配を覚えました。あちらで知り合った人の中には、エイズで命を落とされた友人・知人を持たれていた人もいました。短いニューヨーク滞在でのことでしたし、それ程親しいお付き合いをさせて頂いた訳でもありませんが、フランクで、大人な方でニューヨークで知り合った人の中でも印象に残っているお一人です。車の運転もなかなか上手だった覚えがあります。あれからもうかれこれ二十年近くが経ちますが、今も変わらずご活躍されていることと思います。これからもご健勝をお祈りしたい気持ちです。彼に引き換えてみると私は...と不甲斐無い気もする今日この頃です。同時にコロンビア大学だったかに医学留学されていた日本人の方とも同じ担任の女性教師を介して知り合いにならせてもらいましたが、その方も温厚で理知的で朴訥としたタイプのとても良い方だったと記憶しています。今では医学博士かしら...。
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2007年07月25日

映画にまつわる思い出

以前の投稿記事『映画作り』で昔、英国へ初めて語学遊学をした際に在学していたロンドンから電車で1時間弱、ケンブリッジから車で25分程の小さな街の寮制の語学学校の授業のカリュキュラムの1つのクラブ活動で、映画制作のクラスを選択し、多国籍のクラスメイトと生涯で唯一映画(ビデオ撮影で内容もアマチュアにしても映画と呼ぶにはおこがましい作品やにも思いますが...)作りに携わった由、記しましたが、顧問の先生に言われたずっと忘れられない言葉があります。たまに夕食後、学校主催で映画のビデオ上映会が催されていて、デニス・ホッパー監督、ピター・フォンダ製作/脚本/主演のアメリカン・ニュー・シネマの代表的青春ドラマ映画作品「イージー・ライダー」の上映があった後、その先生にどうだったかと鑑賞の感想を訊かれ"面白い気はするけれど...良くはわからないのだけれど..."といったようなことを、答えたところ"それで良いいの 映画にはメッセージは込められているかも知れないけれど (必ずしも) 答えを提示しているものではない だから何を感じたり思ったりしたかが 重要で 良くわからないと感じ思ったことが、今のあなたにとってのこの作品(の意味)なのだ”というようなことを言われ、今でもその言葉は脳裏に深く刻まれています。失礼ながら、映画制作のクラスでは何となく、フラワーチルドレン崩れの単なる映画好きの語学教師といった些か軽んじた感情を抱いていたところもあったので(誹謗ではなく、容貌はジョニ・ミッチェルタイプで、雰囲気はジェファーソン・エアプレインを想起させられるタイプやに思ていました)、余計に鮮烈な印象を受け、見直してしまいました。本などに書いていそうなフレーズやも知れませんが、実際直に触れてみると説得力持って感じられました。
"全然面白くない(何も感じず思わない)となると...だけど"と付け足して発せられた言葉も印象深いものがあります。

allcinema ONLINE 映画データベース
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2007年07月07日

ウォンバット?

初めての英国語学遊学中、ロンドン滞在の一時期に郊外の家にホームステイしていました。ある晩、日本人の友人が宿泊していた夏期休校の期間だけ一般の宿泊客を受け入れるサウスケンジントンのImperial College Londonの学生寮(この友人はここの部屋で盗難の被害こそ被りませんでしたが、空き巣に入られ、荷物を荒らされました。セキュリティにも配慮されていたようですし、滅多にないとのことでした。私も宿泊したことがありますが、当然そうした被害に遭うことはありませんでした)で夜遅くまで呑んだ帰り、ホームステイ宅の最寄り駅ピカデリーラインのSouth Earlingから家までの道すがら、道端で暗がりを前から何やらラグビーボール程の大きさの毛むくじゃらの物体が地面をこちらに向かって進んで来るのが目に入りました、酔いでとろんとした目をしばたかせつつ凝らし見ると何とそれはかつて実際には目にしたことのなかったウォンバット、もしくはウォンバットに良く似た生物で、恐らく私の存在には築いている筈にもか関わらず、のそのそとながら脇目もふらずにこちらに向かって来て、呆気にとられて立ち止まっている私の傍らを気に留める風でもなく通り過ぎて駅の方へ歩き去って行きました。その後ろ姿が見えなくなるまでかなりの時間夜更けの道端に呆然と立ち尽くしたまま、見送ってからホームステイ宅に帰り、リヴィングでテレビを観ていたホストファミリーのご主人についさっき遭遇した得体の知れない生物について話したのですが、酔っていたこともありましたし、拙い英語な上、興奮覚めやらぬ調子での説明では上手く伝えられなかったのか、きちんとは取り合ってはもらえませんでした。夜も遅かったですし、酔いもあって休みたかったこともあり、その場は諦めて寝てしまいました。翌朝、朝食の折りに奥さんに今度はキッチリ落ち着いて話したところ、しっかり伝わり、受止めてはくれたようでしたが、首を傾げて"わからないは"と微笑まれるに止まり、依然としてややもどかしい気持ちが残りました。その後ありある毎に、友人や知人にもこの体験について話し、一応信じては貰えたようですが、疑心暗鬼を伴ってというか、そもそもさして強い関心を示していないようにも感じられ、やはり歯がゆい気持ちにもなりました。確かに懐疑的に受止められたとしても仕方ないと思いますし、私もそのときは、正直我が目を疑いもしましたし、ウォンバットはオーストラリアに生息する生き物とのことでもありますが、ウォンバット、もしくはウォンバットのような生物は酔いが見せた幻覚などではなく、狸やキツネなどではないと未だに確信しています(笑)。大きなネズミとかモグラとも思えませんが...。

参照 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年06月24日

爆発事故

先日渋谷の温泉施設で三名の犠牲者と三名の怪我人を出した大規模な爆発事故がありました。お亡くなりになられた三名の方には慎んでご冥福をお祈りすると共にご家族にはお悔やみを申し上げます。また怪我をされた三名の方には心からお見舞い申し上げます。

随分前の話しになりますが、ある晩私が都内某所のとあるビルの中に居たところ、突如耳を裂くような轟音と建物全体、特に窓ガラスが揺れしなる程の衝撃に見舞われたことがありました。俄かには何が起こったのか、ややパニックに陥り、あたふたとしましたが、窓から向かいの通りを恐る恐る覗くと対面の居酒屋さんが大破していて、前の通りには飛び散った残骸が散乱していました。間もなく消防車、救急車やパトカーが到着し、赤色灯が辺りを照らして、騒然となりました。後から聞いた話しでは居酒屋さんの従業員がガス漏れの警報が鳴っているのに気づいたものの、元栓は閉まっていたためガス会社に検査を依頼し、到着したガス会社の人が店内に点検に入ったせつなに充満していたガスが爆発を起こしたとのことでした。あの惨状にも関わらず、幸いにして亡くなった人はおろか、大きな怪我を負った人もいなかったとのことでした。その後程なくして営業を再開したお店には、何度か呑みに行きました。久しく足を運んでいませんが、今でも営業しているのかしら...。

こうした事故に限らず、自分では如何とも避け難い、思わぬ事故や事件、それも致命的な事故や事件に見舞われる危険が身近なそこここにもあるものなのですネ。とにかく何の事故や事件にせよ、気をつけるに越したことはありませんし、未然に防ぐ措置は常に怠らず講じて改善に努めて欲しいものです。

ごくごく幼少の頃、朝方部屋に置いてあった灯油ストーブが何かの拍子にまだ寝ていた私の布団の上に倒れて、掛け布団が火の海となり、両親が慌てふためいて火を消化していたのと無惨に焼け焦げ、まだぶすぶすとくすぶっていた掛け布団が何故か庭に植わっていた柿の木に惨めに掛けられていた光景を微かに覚えてします。幸い大事には至りませんでした。
それから小学生のとき、使い道もないのにゲームセンターのバーを稼働させて景品を落とすゲームで初めてライターを手にして嬉しくて、ガスを充填しながら誤って点火して暴火させてしまい、前髪と眉毛を焦がして、母親にこっぴどくしかられたこともありました。人生で初めてのパーマでもありました。
これも小学生のときのことですが、近所のアパートで小火騒ぎが起きたとき、近所のオジさんが大きなバールを手に、"俺に任せろ!"と言って建物を破壊しにかかろうとして、消防署員に制止されていたのを目にして、現代に生きる"火消し"だ(か!?)との思いが頭の中を過ったのを覚えています。
昔火事で焼け出された近所のご家族が新しい家が建つまで仮住まいされていたアパートに、父親に伴って入用な物を届けに行ったことを何故か強く覚えています。

我が家は一応オール電化ではありますが、何れにせよ火の元には気をつけねばと思います。


話しは変わりますが、木村カエラさんには、小学校2年生のときに作詞・作曲(編曲:インビジブルギター男)したオリジナル曲『花花ランド』をシングルなりアルバム収録するなりしてリリースして欲しいです。
posted by ウォルター at 00:46| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月16日

メロンソーダの思い出

私が小学生の頃の夏休み、早朝は多くの方の思い出にあるように、眠い目をこすりつつ、近所の児童公園で近隣の町内の子供たちや保護者とともにラジオ体操に参加し(させられ)、一休みすると午前中は面倒くさがりながらも、チョッと歩いたところにある町内会館に近所の子供たちと夏休みの宿題(何という呼び名だったか、宿題帳やドリルのようなもの)を年長者に見てもらったり、お互いに協力したりしながらするのに通って(わされて)いました。町内会館への道すがらには高校があり、行きも帰りも校内を横切って通っていたのですが、帰りがけには、ささやかな楽しみがありました。普段生徒や先生がいるときには校舎内(ばかりか校内にも中々)に入れなかったのですが、夏休みの午前中となるとクラブ活動の生徒の姿、ブラスバンド部や野球部だったかの生徒が練習をしてるのをチラホラと見かけるかどうかという程度で、殆ど人がいないと思われたので、校舎内にこっそり入って(とはいえ職員室や教室などの部屋に入ることはしませんでしたが)、体育館や体育倉庫に忍び込んだり、屋上に上がってみたり、トイレを借りたり、チョッとした校内冒険が出来ましたし、何といっても校舎の一画に設置されているカップ式飲料とカップラーメンの自動販売機でたまに買い食いするのが楽しみでした。お小遣いの侘しさから、毎日というわけにはいきませんでしたが、普段家では冷やした水道水か麦茶か良くてプラッシーしか飲ませてもらえなかったので、氷の入ったカップに注がれたコーラやジュース、特に色鮮やかな緑色が毒々しくもあったメロンソーダを飲んだり、こちらも普段家では食べさせてもらえなかったカップラーメンをひっそりと静まり返った校内で食べることに喜びを感じていました。この歳になっても、メロンソーダやクリームソーダは好きでついつい飲んでしまいますが、ペットボトル入りのメロンソーダはラベルが邪魔をして色がハッキリとわからず、美味しさが半減して感じられます。やはり、カップ、透き通ったグラスやボトルででないと醍醐味が味わえない気がします。最近ではダイドーのクジ付き自動販売機で復刻堂 ソーダ水 メロン味を購入して飲むことがありますが、今一つ趣に薄い気がしなくはありません。
posted by ウォルター at 18:18| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

語学遊学

若い時分、ニューヨークに語学遊学していた際に通っていた語学学校はマンハッタン島のミッドタウン、チェルシー地区のマディソン・スクエア・ガーデンにほど近い場所に位置していました。滞在していた国連近くのYMCA ヴァンダービルトからは、急いでいるときを意外は徒歩で通学していました。帰る方向が一緒で帰りを共にすることが良くあったフランス語圏のアフリカ某国からのクラスメートの黒人男性がある日の帰りがけ、マディソン・スクエア・ガーデンの前に差し掛かった辺りで何の話しの流れだったか、"僕は時々米国で、ニューヨークで目にしたり出会ったりする黒人が恐いことがあるんだ"と私の顔を伺うようにぽつりと漏らしました。私は意表を突かれた気がして、人当たりも穏やかで、立ち振る舞いや話し口調にはどことなく品を感じさせるハンサムな好青年ではあるものの、身の丈は180cm以上で、しなやかで引き締まった体躯をした彼の顔を些か意表を突かれたといった表情で無言のまま見上げると"黒人ということで、彼らと一緒くたに見られることに戸惑いを覚えることがあるんだ"というような言葉を続けた彼の寂しそうな表情を何か深い意味があるとかということではなく、今でもとても印象深く覚えているいます。確かに言われてみれば、黒人だろうと何だろうと、人種や国籍に関係なく恐い人も恐く見える人もいるのはそうなのですし、多分に主観によるものやもしれませんが、街ではあからさまに恐く感じる黒人の人を見かけたり、出会ったりすることもありましたが、私自身は、彼がとうか、同じ黒人同士でもそうした見方や意識があることを全く意識したことがなかったので、とても新鮮な思いを抱いているのだなという感じがしました。それからある日の帰りがけに普段は余り会話を交わすことの少なかったトルコからの留学生のクラスメートの男性と一緒になった際、彼が道すがら"自分は将来のビジネスのためにこうして英語を学びに米国に来てはいるが、米国は余り好きではないんだ、米国はビジネスにおいては優れていて魅力的だが、文化的には好きになれないし、ましてやその米国文化が徐々に自国、トルコにも浸食、浸透つつある現状が我慢ならない、特にメディア、テレビの番組が米国の番組に次第に浸食、浸透されつつあるのに大きな危惧を抱いている"と語り出しました。そんなことを唐突に言われても、育った地域環境もあり、米国文化に触れる機会も少なからずあり、ある意味既に浸食、浸透されているともいえる日本に育った私には、やたらなことを言っても面倒なことになりそうな感じもしましたし、何と返したものかと、取り敢えず”そうした危機感を抱いている人は多いのかしら"といったような取り留めのないことを口にした私に彼は、”そう考えている人は決して私だけではないはずだ。但し、そう思いつつ私も含めて面白いからついつい観てしまうのが更に大きな問題だ"というような返答を返しました。別れ際、これから昼食に何を食べるか決めていなければ、通りの向かいにあるハンバーガーチェーン店、ロイ・ロジャースのベーコン・チーズバーガーが絶品と教えてくれてたので、食べてみました...確かに美味しかった気がしますが...何だったのか...。
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2007年05月12日

『卑猥本の思い出』

お気に入りリンクで紹介しておりますふるさんのブログ『ふるちんの「頭の中は魑魅魍魎」』の記事『エロ本の思い出』に触発され記事を書いてみましたので投稿してみたいと思います。

昔我が家の近所には、私が認識している限り2ケ所卑猥本(エロ本と記すのはチョッと恥ずかしいので...)の自動販売機がありました。私は自覚的にはそうした"もの”や”こと"(性と記すのもチョッと恥ずかしいので...)に対する目覚めが遅い方で(もの心つくかつかない頃は、東京12チャンネルなどで放送されていたポルノ紛いの番組を目を皿にして観ていたそうですが...)、販売されていた雑誌に興味があったばかりではなかったのですが(そもそも昼間は、銀のシートでマスキングされていて、展示されている見本を見ることは出来なかった気がします)、悪いことをしてスリルを味わい気もして(当時私は週刊プレイボーイやGOROすらたまに年長の従姉の家に行った時にちらりと見るくらいで、普段はまともに読んだことがありませんでした)、高校生の時分、何度か家族が寝静まった深夜秘かに家を抜け出して買いに行った覚えがあります。夏休みのある日の未明、最寄り駅の近くの自動販売機でタイトルは忘れてしまいましたが、アダルト漫画雑誌を買ったのが初めてだったやに記憶しています。掲載されていた漫画よりも、余りにもいかがわしい広告に興味を惹かれ、切り抜いて暫く保存していたりしました。ある夏の晩、いよいよ本格的なアダルト本を求めて、髪の毛を切り、上唇にセロテープで留めて、髭に見立て、大人に変装したつもりになって(人が見たら、かなり間抜けな様に映ったやに思います)、自転車を駆って買いに行った覚えがあります。ボタンを押した際に発せられるけたたましいブザー音に驚愕しつつ、家に帰って、昂揚・興奮冷めやらぬまま、早速雑誌のページを括りましたが、私には、卑猥過ぎて、気持ち悪くなってしまい、1.000円位(以上だったかしら)したと思いますが、直に(証拠隠滅のためもあって)びりびりに破いて捨ててしまいました。紙がしっかりしていて、破り難かったのを良く覚えています。今でもその(今思えば)淫らなタイトルは覚えていますが、ここでは敢えて記さないでおこうと思います。
当時はそうした卑猥本よりも母親が買っていた婦人画報など婦人誌のグラビアを良く見て、何かを感じていた気がします。
本格的なそうした"こと"や"もの"に対する目覚めは何時だったのかしら...そもそも...訪れたのかしら...。
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2007年04月12日

映画館での思い出

以前の投稿記事に専門学校一年生の時が一番多く映画を観ていた時期と記しましたが、そんなある日の放課後、昼下がりの日比谷映画街、どの劇場だったか忘れてしまいましたが、名優アンソニー・クインが出演している「バレンチナ物語」という映画作品を観たときのことです。作品の内容は殆ど覚えておらず、どうも北スペインの小さな村を舞台に、少年と少女のロマンスを描いた作品とのことで、アンソニー・クインは神父さんか何かの役を演じられていた気がします。戸棚の奥に積み上がっている段ボール箱の中に仕舞ってあるパンフレットを見れば、もっと思い出すやも知れませんし、映画観賞メモがあれば何がしか記してある筈でもありますが...。大々的に宣伝された話題作でもなかった気がしますし、平日の午後ということもあり、座席に着いた時に広い劇場内を見回すと私を含めて僅かに3人の観客しかいませんでした。上映時間が近づいても一向に観客は増える気配を見せず、映画にも劇場にも気の毒だなどと思っているうちに、遂にはそのまま上映が始まりました。劇場内はガラガラでしたので私は、ほぼ中央の座席に着いていたのですが、初め距離を置いて座席に着いていたはずの他の2人の観客がいたたまれなくなったのか、徐々に私を囲むように近づいて来て、終いには私を挟んで座席2つか3っつおきくらいに一列になって鑑賞していました。声を掛け合うというようなこともありませんでしたが、上映終了後席を立つ際一瞬、お互いにはにかんだ笑顔を交わしたのを今でも覚えています。顔は全く覚えていないのですが、はにかんだ笑顔の口元とイメージは鮮明に覚えています。彼らと作品を共有出来たとは思えないのは些か残念な気はしますが、妙な一体感を感じることが出来た貴重な(チョッと不思議で不気味な感じもする)体験だったと思っています。
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2007年04月09日

家田荘子さん

唐突ながら私は私は有名人に会ったことは余りないのですが、このあいだの晩にテレビ東京で降旗康男監督、岩下志麻さん主演の任侠ヤクザ映画作品「新・極道の妻(おんな)たち 惚れたら地獄」(凄まじいタイトルですネ)が放映されているのをチラッと観て(御蔵組幹部の"権藤啓太"役の世良公則さんがTOKIOの城島茂さんに見えて仕方がありません)一人思い出しました。随分昔に有楽町ガード下のうどん屋さんでノンフィクション作家の家田荘子さんを見かけたことがあります。彼女の著書は読んだことはありませんし、映画化された「極道の妻たち」シリーズも余り熱心には観ていませんでしたが、席が直ぐ隣だったので、かなりドキドキしました。声も掛けられず、横目でチラチラ見るのが精一杯いでしたが、お酒が入っていたせいか、かなりご機嫌な様子で、紅潮した顔で、お連れの男性二人にしなをつくるような仕草をされて、楽しまれていて(お連れの方は必ずしも楽しめている風ではないやにも思われましたが..)、私が彼女に抱いていた常に危険な取材に身を置く果敢で凛としたノンフィクション作家のイメージとのギャップに些か戸惑いましたが、おこがましくも可愛げのある人なのだなとも映りました。それにしても、酒が入っていて、下世話な話しに花を咲かせていたとはいえ、彼女に全く気づくことなく店を後にした3人の私の連れには、気づいて騒がなくて良かったとのホッとした思いと気づいてあげないのは、チョッと失礼な気もしたりしました。興味の有る無しもあるやも知れませんが...せっかくの有名人なのに...。

allcinema ONLINE 映画データベース
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2007年04月01日

ロンドンの思い出

小雨そぼ降る肌寒い午後なぞにテムズ川の川辺なぞを宛も生の実感もなしに、孤立感に感じ浸り、ただただ彷徨い歩く虚無さが何とも懐かしいです。早く雨を寒さを逃れたいと思いつつも、申し訳に写真なぞ撮ったりしながら、宛もない筈なのに、何かから逃れるように、何かを追い求めるかのようにただただロンドンの街を彷徨い歩き、虚無感に満たされ、疲れてワンルームフラットの狭い部屋に帰り、雨に濡れた上っ張りを脱ぎ、ベッドに腰を下ろして、人心地つくという徒然な消日なのですが、不思議とどこか、満ち足りた感じがするのです。街に溶け込んでも受け入れられている感じもしませんでしたが、ただ、空気感や雰囲気、ここに居るのだとは感じられた気はします...でも何やら「いいのかしら、それだけで」とのささやかな自問とともに...思い出と引き換えに何かを忘れて来た気もして...カムデン・タウンの蚤の市で買った白いアーチドトップギターではないでしょうし...現在の心持ちがそう思わせるだけなのかしら...。
posted by ウォルター at 00:50| ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

押し売り

先日久しぶりに映画「男はつらいよ」シリーズでもお気に入りの作品「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」を観ましたら、冒頭、いつもの如くひょっこり渡世の旅から"とらや"に帰って来た"寅"さんが、『押し売りお断り』のステッカーを軒先に貼っていた中村雅俊さん扮する下宿人の若い青年"ワットくん”こと"島田良介”に押し売りと勘違いされて、一悶着起きるというシーンがあり、そういえば、押し売りというと最近では悪質訪問販売と呼ばれ、特に高齢者などが、高額の被害を被るケースも希ではないようだけど、自分が子供の頃は、強面のおじさんが家庭を訪れ、玄関先でゴムひもだの何だのの二束三文の品物を無理矢理高く売りつけるというのをイメージしていたものだったな〜と何となくしみじみ思い起こしました。私の記憶の限り我が家に押し売りが来たことはないと思いますが(一度、父親のボーナス支給日に泥棒に入られ、お金を一切合切盗まれたことはありましたが...)、私が小学校高学年の頃、一度だけ父親の知人宅に寄らせてもらった際に、押し売りに遭遇したことがありました。ただその時は、夏休みで、何家族もが、海の直ぐそばにあったその家を訪れていて、人が大勢いたため、押し売りの方が面食らっていて、そそくさと帰ろうとしていましたが、家の人の方が、今時珍しいと言って、何かはわかりませんでしたが、買っていたようで、帰り際にこの辺りではもう商売にならないよと諭していたのを覚えています。それでも私は恐かった気がします。

「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」は、"良介"が恋いこがれる大竹しのぶさん扮する娘”藤村幸子"が働く定食屋さんで食事を摂るシーンや"良介"の姉、"島田藤子”役の藤村志保さんの大人な可愛さが好いです。"良介"がお姉さんに"寅"さんに対する気持ちを問い詰めるシーンでの中村さんの演技は、彼らしいというか、ならではな感じがして、何とも好いやに思います。
そして、本作の公開よりも放送スタートは後になりますが、アクションコメディTVドラマ『探偵物語』を観て以来、「男はつらいよ」シリーズを観る度秘かに主演の"工藤俊作”を演じた松田優作さんと"寅”さんの共演を切望していましたが、それは儚い願いとなってしまいましたので、文学座の優作さんの後輩で、アクションTVドラマ『俺たちの勲章』で共演もされている中村雅俊さんが出演している本作に思い入れを抱いてしまっているのやの知れません。

中々時間が作れないというのもあるのですが、鑑賞映画についての記事を書こうとパソコンの前に座っても、中々筆、否、キーボードを叩く手が進みません。代わりにこういった映画とは関わりのない...もしくは薄い内容の文章ばかりが思い浮かんでしまいます。プレッシャーからの逃避の表れかしら...。

一昨日脳梗塞でお亡くなりになられた校長先生、船越英二さんのご冥福を心よりお祈りいたします。今度船越さんの代表作といわれる大岡昇平さんの同名小説を市川崑監督が映画化した文芸戦争ドラマ「野火」を観たいと思います。本棚の肥となってしまっている(積ん読本)原作小説も読まねばと思っています...。
posted by ウォルター at 21:42| ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

セントラルパーク

セントラルパーク S.JPG
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若い頃ニューヨークに語学遊学(絵の勉強をしたかったりしたのですが...)していた際、マンハッタン滞在中天気が良い放課後はラジカセを持って日光浴に良くセントラルパークへ出かけていました。一度、TVドラマ『ニューヨーク恋物語』のロケーション中だったのか、ロケーションハンティング中だったのか、大勢のスタッフの方々と出演者のお一人の岸本加世子さんを見かけたことがあります。芝生で寝そべっていた私の直ぐ脇を通り過ぎて行きました。表情には出さぬようにしましたが、物凄く緊張しました。このときラジカセで聴いていたのは、確か弟にレコードをダビングしてもらったBOOWYのアルバム、『PSYCHOPATH』のテープです(セントラルパークでの日光浴の度にこのテープを聴いていたお蔭で、カラオケで『マリオネット』と『季節が君だけを変える』を歌えるようになりました)。たまにストロベリーフィールズやダコタアパートにも足を延ばしたりもしました。

鑑賞映画についての記事投稿100本目を迎えるにあたり、昨年末も一年の締めくくりにと思い描きはじめたものの、自分なりに納得の行く記事を書けずに見送った私が最も好きな映画作品の一本である恩田稑さん原作の同名ミステリーの映画化「木曜組曲」を今度こそとの思いで書いているのですが、依然として何やかやと色々立て込んでいるのと、思い入れが邪魔をしてか、あれこれ考え、思いがめくるめいてしまい、遅々として筆、否、キーボードを叩く手が進みません。
posted by ウォルター at 21:18| ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月24日

ダウンタウン散策

以前当ブログにて昔、ニューヨークに語学遊学滞在中のアルゼンチン人のクラスメートについての記事を投稿したことがありましたが、同時期のある放課後、年上のスペイン人の留学生のクラスメートに彼が滞在していたアパートがあったダウンタウン周辺へ初めて散策に連れて行ってもらったことがありました。彼は本国では映像関係の仕事をしているとのことで、ナム・ジュン・パイクをはじめとした恐らく前衛的な映像作家や彼らの作品について盛んに話をしていたのだと思うのですが(私を韓国人と勘違いしていたといいうこともないと思いますが)、お互い拙い英語力な上に、私はそのジャンルについてさして知識も興味もなく、分からないところだらけでした。しかしながら、まさに映像や写真でしか観ることのなかったニューヨークのダウンタウンの街並みを実際に歩き、目の当たりにした光景が新鮮、刺激的、素敵だったことと、会話はチグハグなところはありましたが、彼も人間的には良い人だったので、楽しい一時を過ごしました。セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスが滞在し麻薬中毒の挙句、恋人のナンシーに射殺され、アーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』を書き上げた他多くの著名人が滞在し、俳優のイーサン・ホークの初監督作品映画「チェルシーホテル」の舞台にして「レオン」「マンハッタン花物語」「ナインハーフ」「シド・アンド・ナンシー」にも登場したチェルシー・ホテルの前を通り(この辺りはまだ学校周辺)、マジソン・スクエア・パークを脇目に映画「GODZILLA/ゴジラ」「最高の恋人」「スパイダーマン」に登場したフラット・ライアン・ビルの近くのカフェで食事を摂り、MOMAフィルムには気付かず、セオドア・ルーズベルトの生家も通り過ぎ、有名な古書店、ストランド書店で本をながめ、グリニッジビレッジを歩き、確かクリストファー・ウォーケンやジェッフ・ゴールドブラムが出演していた映画「グリニッチ・ビレッジの青春」を思い浮かべつつ「セルピコ」「黒いジャガー」「ゴッドファーザーPART II」に登場したカフェ・レッジオもやり過ごし、ユニオン・スクエア・パークの脇を通って「恋人たちの予感」をはじめ数多くの映画に登場するワシントン・スクエア・パークのワシントン・アーチからエンパイア・ステート・ビルを眺め(エンパイア・ステート・ビルは別の機会に訪れました)、ここがニューヨーク大学かと思いながら歩をすすめるうち、彼が何気なく先日滞在先のアパートの住人が射殺されたとの話をはじめました。そんな所に居て危なくないのかと尋ねますと、射殺されたのは麻薬がらみの犯罪者、そうした事件の加害者も被害者も殆どが悪事に関わっている人、そうでなければ交通事故にあって命を落とす確率の方が高いとキッパリと話しておりました。それだけではなく、気持ちの問題としてどうなのかとも思いましたが、それ以上問うことはしませんでした。彼の部屋にも招待されていたので、ちょっくら寄らせてもらうつもりでいましたが、流石に殺人現場に赴くのは足がすくみ、そう言えば洗濯をせねばならなかったと口実を述べ、丁寧に招きを断り、何だか地下鉄に乗るのも怖くなってしまい(バスの方が安全とのことだったのですが、何故が余り好きになれず、日中は殆ど乗車しませんでした)、歩いて滞在先の国連近くのYMCAへ帰り、嘘にならぬよう律儀にランドリーで洗濯をしたのを覚えています。その後も彼と出掛けることはありましたが、部屋を訪れることは一度としてありませんでした。
その彼が言った未だに忘れられない言葉があります。クラスに黒澤明監督を敬愛し、常に監督に関する書籍を手にして読んでいる真意の程は定かではありませんが、母国ではそれなりに名の知れた映画監督であるとの年配のギリシャ人のクラスメートがいて、たまに3人で映画、特に日本の映画について話をすることがありました。ある時、黒澤明監督の「影武者」「乱」など近年の作品に話が及び、私が日本では最近の黒澤明監督の作品は以前の作品程は評価されていないようだといったようなことを言ったところ、スペイン人のその彼に黒澤明監督は何も日本人の為(ばかり)に映画を撮っているわけではない、作品を観る人の為に撮っているんだと切り返されました。何か良くわからない気もしますが、何やらカッコイイ説得力ある物言いに感じて、納得してしまい、未だに印象深く覚えています。このギリシャ人の彼は大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の"ハラ軍曹”役のビートたけし(北野武)さんの演技を高く評価してもいました。
posted by ウォルター at 01:10| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

リヴァプール(追記)

書き忘れておりましたが、彼の地を訪れた晩に映画(リヴァプールまで行って何故かシドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォードとメリル・ストリープ主演のドラマ作品「OUT OF AFRICA/愛と哀しみの果て」)を観に出かけた際、街角にたむろしているパンクファッションの若者の一団に出くわし、その内の一人の女の子が5月とはいえ、雨そぼ降るまだ寒い夜に袖の部分がメッシュのシャツ一枚でたたずんでいる姿を目にし、パンクスであるのにも気合と根性と忍耐が要るのだなと何だか愛おしい感じさえした覚えもありました。
posted by ウォルター at 19:28| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リヴァプール

これも昔、英国へ初めて語学遊学していた時期の他愛もない話なのですが、ファンであるザ・ビートルズの生まれ故郷であるリヴァプールを語学学校で知り合った日本人の友人と連れ立って訪れた際、宿泊したYMCA近くのフィッシュアンドチップス屋さんへ夕飯を買いに行ったところ、お店のご主人と常連とおぼしきお客さんのおじさんが、サッカー・フットボールリーグ (現プレミアリーグ)の地元リヴァプールFCと隣街のマンチェスター・ユナイテッドFCのどちらが強いかで舌戦を繰り広げ、暫し我々二人の注文が放置されたばかりか、つかみ合いにならんばかりにヒートアップした場面に遭遇し、些か迷惑したことがあったのを、ふと思い出しました。
マンチェスター・ユナイテッドFCのアレックス・ファーガソン監督はこの年の11月に就任して以来、現在に至っており、プレミアリーグの監督としては、最長のキャリアを誇っています。
因にリバプールを訪れた時期にあたる1985-86シーズンのチャンピオンがリヴァプールFCで、この年8月からの1986-87シーズンのフットボール・リーグ・チャンピオンはエヴァートンFCです。
今シーズンは、10月2日現在リーグトップを走っているのが、ファーガソン監督率いるマンチェスター・ユナイテッドFCで、エバートンFCは5位、2004-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグと今年のFAカップ優勝チームで昨シーズンリーグ3位のリヴァプールFCは10位と低迷しています。
posted by ウォルター at 01:41| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

レンタルビデオ店にて

随分前の話なのですが、自宅近所の行きつけのレンタルビデオ店にビデオを借りに行き、チョッとの気持ちでアダルトコーナーを覗いていましたら(以前の投稿記事でも触れましたが一時期、あくまで"収集"を第一の目的として80・90年代の作品をメインにアダルトビデオ[主に中古]を”収集”していたことはあります)、三四人の若い男の子たちがわいわいと入って来ました。アダルトコーナーとはいえ、だからこそ、余り騒々しくしたくはないですし、下比だったり不遜に過ぎたりした言葉を吐きながら騒がれるのは不快に感じてしまい、以前はそうした物言いが目に余り、且つある種のビデオを模索している輩には不当にして思慮分別を欠く言動やも知れませんが、聞こえよがしに辛辣な皮肉の言葉を発したりしたこともありました(決して直接言いはしませんでしたし、明らかに腕力に勝っていそうな相手にもしませんでしたが...。暴力は以ての外ですし、腕力を後ろ盾にするのも好ましいこととは思いませんし、されたと気付いた方は迷惑な話しやに思いますが...)。彼らはそうした輩とは違っておりました。彼らはあるビデオを探している様子で、そのビデオを見つけると一人が”このビデオに前の彼女が出演いるんだ”との言葉を発しました。たまたま彼らがビデオを見つけた棚の隣の棚の前に立っており、思わず耳を奪われ、失礼ながら彼らの会話に聞き耳を立ててしまいました。流石に話に加われるわけでもありませんし、耳をそばだててチラチラと様子を伺うのが精一杯で、何というタイトルかまでは伺い知ることは出来ませんでしたが、素人さんが出演されるシリーズタイトルの一作のようでした(わかったら借りるつもりだったのだとしたら何とも嫌らしいと自嘲します...)。はじめはその言葉を発した当人もやや興奮気味で、自慢気でもありながら"驚いたよ〜"、”ショックだよな〜”なといったことを、お仲間衆も"マジで〜”とか"凄いじゃん”などといったことを話しながら一頻り盛り上がっていたのですが、次第に当の彼が"かわいかったのにな〜”、"どうしてなのかな〜”と漏らす言葉も愚痴めい行き、落ち込み、顔をこわばらせはじめ、お仲間衆も彼の慰めに入るも、やがてかける慰めの言葉も尽きてきたのか無口となり最後はアダルトコーナーを肩を落とすかのように去って行きました。詳しい経緯は知る由もありませんが、推察するに、お付き合いされていた時はその彼女に相当執心で、その時にも少なからず未練があってかなりのショックと辛く複雑な気持ちだったやに思います。
これもさらに昔の話しになりますが、友人の"F氏”とある本屋さんで陳列されているエッチ雑誌を横目に連続TVアクション・コメディ・ドラマ『探偵物語』で松田優作さん扮する工藤俊作の"嫌いなんだ"の台詞のように職業蔑視はいけないし、したくもないと思うものの、必ずしも職業蔑視には繋がらないやも知れませんが、もし実際に"お付き合いしようとする女性"や"彼女"がこうした雑誌のモデルだったり、アダルトビデオの女優さんや性風俗業で働く人だとわかったらどういう気持ちになり、どうするだろうと話したことがあったのを思い出しました。
誰も何も悪いことをしているわけではないであろうに、興味深くも、人ごとながら何となく辛いというか複雑な気持ちを抱かせられた現場に遭遇したとの思いでした。
気持ちというのも、人のであれ自分のであれ誰のであれままならないもののようです。
たわいも無い追憶を綴ってしまいました。
posted by ウォルター at 14:47| ☔| Comment(5) | TrackBack(1) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月31日

ブルックリン散策

1988年の夏、ニューヨークに語学留学で滞在中、日本人のクラスメートに誘われてブルックリンに一度だけ行ったことがありありました。

路線番号と何色の路線で何という駅かも忘れてしまいましたが、イースト・リバーを渡って一つ目の地下鉄の駅を降り、イースト・リバーの方向へ歩を進めました。はじめは道端で西瓜を売っている少年、川に近づくにつれ葉っぱ(マリファナ=大麻)を売っている少年に出くわしたりしながら、マンハッタンに渡る橋と対岸にマンハッタンの摩天楼を臨む、廃墟風の建物に面した車が裏返しに捨て置かれている川沿いの寂れた通りにたどり着きました。日頃は恐がりで慎重を期する質の私も、若かったせいもあってなのか、危ない所に来てしまっているんだとの怖さにかえってアドレナリンが分泌されたのか、妙な興奮をおぼえたりしておりました。しかし、更にほんの少しだけ歩を進めると綺麗なスーツを着た一見上品そうな黒人の男性の姿が目に入って来たのです。本格的な麻薬の取引の現場に出くわしてしまったと、興奮が一気に冷めるのにかわり、恐怖が襲って来ました...が、その男性の横の方を見ると、何と廃虚のごとく見えた建物の正面にあった一面のガラス窓越しに如何にもニューヨーク然としたスタイリッシュなレストランで楽し気に食事をしている、これまた如何にもニューヨーカー然とした人たちの姿が目に飛び込んで来たのでした(あれがリバーカフェだったのでしょうか?違う気がしますが...)。まずは安堵のため息をつく心地でした。危険な場所ではなかった様です。続いて、勝手に興奮したり、怖がったりした自分が馬鹿らしく思えてきました。

なんともはやでしたが、夜になり、ブルックリン・ハイツ・プロムナードから見た対岸のロウアーマンハッタンの夜景は素晴らしく綺麗でした。帰りにはブルックリン・ハイツにある"henry's end restaurant"というお店でクラスメートに食事をご馳走になりました。何のお肉か忘れましたがとても美味しかったのは覚えております。ワインも結構上等なものを頂いた記憶があります。

ブルックリン 001 S.JPG
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通りに突き当たる手前はこんな感じでした。この上方にも橋が架かっていました。
posted by ウォルター at 05:36| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月02日

ワナコ?

最近二十年近く前に疑問に思ったことが解消されました。と同時にある人物のことを思い出しました。

当時私がニューヨークで語学留学をしていた際、語学学校の教室にラマが写ったポスター?が貼ってあり、クラスメイトのアルゼンチン人が幾度かそれを指して「ワナコ!ワナコ!」と言っていました。「ワナコ」とは何なんだろうと密かに思い、ラマでなくラマが撮られた場所のことを言っていたのだろうかなどとも考えたりしておりました。彼とは学校以外で会う程ではありませんでしたが、授業の合間には良く話しをする程度には仲良くさせてもらった仲ではあったのですが、間もなくクラス替えがあったりで聞くことが出来ず、その後も先生や他のクラスメートに聞いてみることも自分で調べることもなく分からず仕舞いのまま心の隅に忘れおかれていたのですが、最近になりひょんなことから「ワナコ」とは南米ペルー、チリ,アルゼンチン、パタゴニアに生息するラクダ科ラマ属の種類の内の一種で、現在絶滅が危惧されワシントン条約で保護されている「グアナコ」であったことを知り疑問に思ったことを思い出し、二十年近くぶりにその疑問が解消されるとともに彼のことも思い出されました。

ブエノスアイレスの大学で社会学を学び米国でソーシャルワーカーを目指していた(奥さんは米国の大手広告代理店に勤務されているとのことでした)彼には政治、社会情勢等について色々教えてもらったりもしました。NYタイムズを毎日熱心に読んでいたのが印象深いです。ダウンタウンに住んでいた彼は帰宅の際たまにマンハッタン内でヒッチハイクをしていました。一度、当時はまだ犯罪多発都市だったニューヨーク、それもマンハッタンで見ず知らずの人の車に乗るのは危険ではないかと言ったところ誰にせよ警察よりは信頼できると嘯いておりました。アルゼンチンでは普通とのことでした。本当なのでしょうか。今度は疑念が、再び頭をもたげた模様です。

posted by ウォルター at 04:12| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | memory | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする